アンミカの壮絶な生い立ちとは?実業家の旦那についても紹介

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多方面で活躍されているアンミカさん。

国籍が韓国である事は様々な方に知られていますが、今回は、華やかなアンミカさんの壮絶な生い立ちを紹介します。

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アンミカさんのプロフィール

本名: ミカ・アン・ミラー
別名義: 安美佳、AHN
愛称: アンちゃん
生年月日: 1972年3月25日
出身地: 大韓民国
血液型: O型
身長: 171 cm
体重: 非公開
靴のサイズ: 24.5 cm

出身高校:大阪府立住吉高校
出身中学校:大阪市立文の里中学校
出身小学校:大阪市立高松小学校

取得している資格:珠算初段、硬筆書写技能検定3級、毛筆書写技能検定2級、秘書検定3級、漢字検定2級、英語検定3級、韓国語検定4級(数字が高いほどレベルが高い)、マスコミ校正、N.A.R.D.(フランス、ベルギー式医療系)、アロマテラピーアドバイザー、アシアクトオーラソーマレベル1、アシアクトオーラソーマレベル2、アシアクトオーラソーマレベル3・プラクティショナー、ジュニアベジタブル&フルーツマイスター(野菜ソムリエ)、EPMプロトコール・プロフェッショナルアドバイザー、コスメコンシェルジュ、日本化粧品検定1級、漢方養生指導士中級、美容アドバイザー、ベジタブルビューティーセルフアドバイザー、ジュエリーコーディネーター検定試験3級

アンミカさんは、結婚前の本名が「安美佳」でしたが、セオドール・ミラーさんと結婚後は「ミカ・アン・ミラー」という名前になりました。

アンミカさんは、日本に帰化しておらず、現在も韓国国籍のままです。

日本に入国して暮らした子供時代

在日韓国人が多い大阪市の生野区や阿倍野区で暮らした

アンミカさんは韓国の済州島で生まれ、年子の5人姉弟の次女として育ちました。

アンミカさんには、兄、姉、弟、妹がおり、1975年、アンミカさんが4歳の時、家族全員でブローカーの手配した小舟に乗り、日本海を渡り入国しました。

日本で最も在日韓国人が多い大阪市の生野区や阿倍野区で育ちました。

主食はすいとん汁で新聞紙に包まって寝る日々

大阪の下町にある雪駄工場の倉庫だったボロ長屋の2階に家族全員が詰め込まれるという非常に貧しいもので、主食はすいとん汁、おやつは近所の青果市場のゴミ捨て場から拾ってきた果物だけでした。

頂き物のスイカは、種まで残さず、砂糖をまぶしておやつとして楽しんでいました。

暖房設備はなく、風の入る長屋だったため、冬はとても寒く、新聞紙にくるんで寝るしかありませんでした。

ケガをしても病院に行くお金もなかった

子供の頃、アンミカさんは兄弟と喧嘩して鼻の骨を折ってしまいました。

しかし、病院に行くお金がなかったため、割り箸を使って鼻の骨を元に戻したそうです。

貧しい生活の中で歯医者にも行けず、アンミカさんの前歯は出っ歯気味でした。

そのため、アンミカさんは手で押して矯正しようとした事が番組で明らかになりました。

家計をサポートするために小学校からバイトをしていた

アンミカさんは、家計を支えるために小学生の頃から朝刊の新聞配達をしており、高校生になると新聞配達の他にパン屋のアルバイトをはじめました。

コンプレックスがあり引っ込み思案だった

アンミカさんは幼い頃、背が低くふくよかな体型をしており、唇部分に負った傷がコンプレックスだったそうです。

明るく笑うことができず引っ込み思案だったアンミカさんを励ましたのは母であり、「目鼻立ちが美しい人が美人なのではない。相手の目を見て話し、人の話しをきちんと聞き、姿勢がよく、口角が上がっていることが大切」と教えられ、母の言葉を実践するうちにやがて自信を持つようになり、現在のような明るい性格になれたと発言していました。

残念ながらアンミカさんが高校時代に母が死去しています。

高校時代にモデルとしてデビュー

モデル事務所の書類審査で落選してしまったアンミカさんでしたが、運良く事務所に立ち寄った際に、ちょうどレッスン生のキャンセルがあり、アンミカさんは急遽参加することになりました。

その後、アンミカさんはトップモデルを目指すために高校を卒業後、単身でパリに移住しました。

18歳の時、アンミカさんの写真がイギリスのファッション誌「I・D」に掲載されたことがきっかけとなり、1993年に20歳で初めてパリコレクションに参加することができました。

現在は日本と韓国を中心にモデルやタレントとして活動中

現在、アンミカさんは、日本と韓国を中心にモデルやタレントとして活動しています。

アンミカさんは、ジュエリーデザインやファッション、コスメのプロデュースなども手掛けています。

2012年には歌手デビューを果たし、翌年にはアメリカの楽団「ザ・グレン・ミラーオーケストラ」の来日ツアーにシンガーとして参加しました。

さらに、アンミカさんは通販番組にも出演し、自身がプロデュースした商品などを紹介しています。

その商品は多くが完売し、アンミカさんは「通販の女王」としても知られています。

アンミカさんの旦那は愛妻家でやり手の実業家

2012年にアンミカさんは、アメリカの起業家であるセオドール・ミラーと結婚しており、お二人で幸せな夫婦生活を送られています。

セオドール・ミラーのプロフィール

名前:セオドール・ミラー

出身地:アメリカ合衆国・ニューヨーク州

国籍:アメリカ合衆国(アメリカ系のユダヤ人)

生年月日:1971年1月15日(2022年7月現在 51歳)

2005年から「エンパイアエンターテイメントジャパン」というイベント制作会社の社長として活動しています。

2020年12月期の決算では、年間売上高は15億円に達し、従業員数も30人に増えました。

当社の主な業務はイベントの企画制作であり、取引先には電通やソニー、グーグルなどの大手企業が含まれています。

セオドール・ミラー氏はニューヨークの大学で学んでいた頃から、日本に対して興味を抱いていました。

学生時代には短期間ですが、「早稲田大学」に留学(交換留学生)していた経験もあります。

留学を通じて、セオドール・ミラー氏は日本での生活への強い思いを抱くようになり、日本での就職を決意しました。

最初に勤めた会社は、「日本電通」という有名な企業でした。

そこでは、セオドール・ミラー氏がHondaのプロジェクトに携わっていたと伝えられています。

その後、セオドール・ミラー氏はヘッドハンティングによって「ゲートウェイ」というPCメーカーに入社しました。

彼は「ゲートウェイ」の日本法人立ち上げにおいてマーケティングの相談を受けたとされています。

当時29歳だったセオドール・ミラー氏が「ライブドア」の社長に就任したことは、注目を集めました。

「エンパイアエンターテイメントジャパン」は2005年に設立されました。

2016年には、マイケル・ベイ監督が日本のCMを手がけたことが話題となり、その仕掛け人がセオドール・ミラー氏であったと言われています。

アンミカさんのご主人が経営する「エンパイアエンターテイメントジャパン」も、イベント制作会社であり、新型コロナウイルスの感染拡大により売上や業績、収入が大幅に減少しました。

この危機を乗り越えるため、「エンパイアエンターテイメントジャパン」は、企業が従業員に支払う休業手当の一部を国が補助する「雇用調整助成金」を申請しました。

しかし、週刊誌で元社員が社員は休んでいないのに休んだことにして「雇用調整助成金」を申請する行為は不正ではないかと告発し疑問視されました。しかしながら、その後のニュースや週刊誌の報道はなく、結果的には何事もなかったようです。

まとめ

今回は、アンミカさんの生い立ちや旦那さんについて紹介しました。

日本と韓国を中心にモデルやタレントとして活動していたり、通販の女王と言われているアンミカさんに今後も目が離せません。

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