伊達公子の再婚相手は誰?名前や職業についても詳しく紹介

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52歳の伊達公子さんが1月に再婚していたことが分かりました。

交際は、5年間で再婚相手は、白髪のダンディな方です。

今回は、伊達公子さんの再婚相手の名前や職業などを紹介します。

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伊達公子の旦那の名前や職業

伊達公子の旦那の名前は?

旦那様の名前は、小泉貴敬さんの可能性が高いです。

玉川大学の玉川学園 学友会のサイトに卒業生として小泉貴敬さんが載っており、1992年に玉川大学文学部芸術学科を卒業されたという情報を見つけました。

この情報から推測すると、小泉貴敬さんは伊達公子さんと同じく50代であることが分かります。

小泉貴敬さんで検索すると、銀座にあるお酒の卸売業会社である「小泉商事株式会社」のサイトがありました。

玉川大学の玉川学園学友会のHP「創業100年になろうという」という一文があり、「小泉商事株式会社」は創業から95年とのことですので、小泉貴敬さんのご実家である可能性は非常に高いです。

伊達公子の旦那の職業は?

2022年10月16日のNEWSポストセブンの記事によると、伊達公子さんの旦那さんは素晴らしいキャリアを持っています。

旦那さんは都内にある超高級な中華料理店の総支配人です。

ミシュランの星を獲得しています。

その店は芸能人や政治家たちも頻繁に訪れるそうです。

伊達公子さんのご実家は、銀座の一等地に自社ビルを所有する老舗のお酒の卸売業者で、創業から100年以上の歴史を誇っています。

伊達公子さんのご主人は、その会社の代表取締役であり、最近ではワインの通販事業も始めるなど幅広く事業を展開しています。

伊達公子さんの最初の旦那はミハエル・クルム

最初の結婚相手は、レーシングドライバーのミハエル・クルムさん52歳です。

2001年1月12日に婚約し、2001年12月1日に結婚、2016年9月に離婚しています。

離婚原因は、二人しか分からないことですが、伊達さんの発言を元に考えてみるとスポーツが趣味の二人ですが、スポーツをやらなくなった時に共通の趣味がなくなった、映画を見ていても、彼は英語で私は字幕なので一緒に見ていても話しかけると僕は聞いているんだから静かにしてくれと言われた、子宝に恵まれなかったことに落ち込み、今までテニスでは努力すれば結果が付いてきたが、不妊治療はそうはいかなかったなどが原因かもしれません。

小さなことが積み重なった結果、離婚をした可能性が高いです。

二人の馴れ初め

伊達公子さんは自身のInstagramで再婚の報告を行っており、プライベートでは穏やかな日々を過ごしながら、約5年間大切な人と共に過ごしてきた後、2人での人生の歩みを始めたことを伝えています。

現在は50代ですが、まだまだ2人で楽しい時間を過ごし、一緒に歩んでいきたいという思いから、2022年1月に入籍したそうです。

Instagramでは、伊達公子さんの52歳の誕生日に結婚の報告が行われました。

具体的な出会いの経緯やきっかけについては公開されていないようです。

おそらく、以前からInstagramの投稿には知人との食事の様子などが頻繁に見られるため、知人の紹介などを通じて、旦那さんと出会った可能性が高いです。

伊達公子さんのInstagramでは、現役引退後もトレーニングを欠かさず行っている様子や、若々しい印象を受ける投稿が多いため、素敵な旦那さんと出会えたのかもしれません。

伊達公子再婚のSNSの反応は?

SNSでは、伊達公子さんの幸せを願う投稿がたくさんありました。

読んでいるだけで心が温まります。

伊達公子のプロフィールと経歴

名前:伊達公子

フリガナ:ダテキミコ

生年月日:1970年(昭和45年)9月28日

身長:164cm

体重:54kg

出身地:京都府京都市

出身校:園田学園女高卒・早稲田大大学院スポーツ科学研究科修了

元プロテニスプレーヤーの伊達さんですが、1996年と2017年に引退しています。

WTAランキング、自己最高位は、シングルス4位、ダブルス28位です。

テニスを始めて念願のプロになる

6歳の頃、京都市北区にある「セブンスリー」というテニスクラブで両親の健康管理のためにテニスをはじめました。

その後、滋賀県大津市へ引っ越した後は、竹内映二監督の父親である竹内穣治がオーナーを務める「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンを積み重ね、中学校時代には「滋賀県テニス選手権」で優勝することができました。

高校時代には兵庫県尼崎市にある名門校「園田学園高等学校」で光国彰監督の指導を受け、1988年のインターハイでは、シングルス、ダブルス、団体の3つの部門で優勝し、3冠を達成しました。

高校卒業後、1989年にプロ入りし、同じ年に行われた「サントリー・ジャパン・オープン」でWTAツアーにデビューし、岡本久美子さんと準々決勝まで進出しました。

同じ年に全仏オープンにも出場し、予選を突破して本戦2回戦まで進出し、ウィンブルドンと全米オープンでも本戦に出場しました。

女子テニス国別対抗戦であるフェデレーションカップの日本代表に初選出され、西ドイツのチームとの試合でダブルスに出場しました。

1990年には、全豪オープンで初めて4回戦に進出し、3回戦で第11シードのパム・シュライバーを破り、注目を集めましたが、準優勝者のヘレナ・スコバに敗れてしまいました。

当時の世界ランキング3位に勝ち全日本テニス選手権の女子シングルスでも初優勝する

1991年には「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会で予選から勝ち上がり、準優勝し、準決勝では当時の世界ランキング3位であるガブリエラ・サバティーニを破る大金星を挙げ、決勝では女王モニカ・セレシュに挑戦しました。

また、全日本テニス選手権の女子シングルスでも初優勝を果たしました。

世界ランキング4位になり日本プロスポーツ大賞の殊勲賞も受賞

1995年には「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」で初優勝しました。

決勝ではリンゼイ・ダベンポートを圧倒しました。

また、「リプトン国際選手権」では準優勝しました。この大会では決勝でシュテフィ・グラフに完敗しましたが、準決勝ではガブリエラ・サバティーニに土壇場から逆転勝利を収めました。

同じ年、全仏オープンでは日本人初のベスト4進出を果たしましたが、準決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオに敗れました。

この準決勝はテレビ東京系の地上波でゴールデンタイムに放映されました。

また、この年の最高ランキングは自己最高の4位であり、年間最終ランキングでも4位に輝き、日本プロスポーツ大賞の殊勲賞も受賞しました。

引退し12年ぶりの復帰

1年後の1996年には現役を引退しました。

2008年4月6日に、現役復帰することが報じられました。

4月7日には復帰記者会見を行い、12年ぶりにプロテニスプレーヤーとして再びコートに立つことを表明しました。

37歳でのプロ復帰の理由は、「世界と闘うためではなく若い選手たちに刺激を与えるため」であり、当時の本名である「クルム伊達公子」としてプロ登録しました。

2017年8月28日には自身のブログで、そう遠くない日がとうとう訪れました。伊達公子、再チャレンジにピリオドを打つ決断をしましたと現役引退を発表しました。

最後の大会となったジャパン女子オープンテニスでは、セルビアのアレクサンドラ・クルニッチに対し、0-6、0-6という結果で完敗しました。

まとめ

伊達公子さんの再婚相手の名前や職業などを紹介します。

お二人の幸せを願いながら、2度目の再婚をした伊達公子さんの旦那さんに今後も注目して行きたいです。

伊達公子さんも様々な活動をしているため目が離せません。

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